広島路面電車 十月 ジャズ



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 今日、この処の儂のお気に入りの、J-SquadのNew albumである「J-Squad II」がリリースされた。




 「J-Squad」と聞いて、すぐにピンとくる人は、極めて少ない。


 「J-Squad」と聞いて、すぐにピンとくる人は、ジャズの通と言える。



 J-Squadは、ニューヨーク在住の、世界的な舞台で活躍する、凄腕の若手ミュージシャンによって、2年ほど前に結成されたグループで、メンバーは、黒田卓也(tp)大林武司(p,key)中村恭士(b)小川慶太(ds,per)馬場智章(ts)の5人である。



J-Squadのメンバー



 元々、2016年4月からリニューアルした、テレビ朝日系報道番組、「報道ステーション」のテーマ曲を手掛けるために結成されたスペシャル・バンドであり、First albumである「J-Squad」は、近年、淀んで低迷しちょる日本のジャズ界に新風を吹き込んだ作品じゃった。



ジャズ 夏の話です




 見てくれや普段の言動から、演歌しか聞きもせんし歌いもせんじゃろぉと思われがちな儂じゃが、以前のブログ記事でも言ぅた様に、幼少の頃からのエルビス・プレスリーの大ファンじゃし、中学生の頃からジャズも、よぉ聞きよった。



 宮澤賢治先生の影響じゃった。




 儂が、宮澤賢治先生を、心の師として敬愛しちょる事は、以前のブログ記事でも語ったんじゃが、儂が小学生の時、賢治先生が、ベートーヴェンやドヴォルザークを好んで聴いて居られた事を知って、岩国の伯母さん(父の姉で、進駐軍のハリー伯父さんと結婚して、当時、山口県岩国市に在る米軍基地内の職員住宅に住んで居た)に頼んでカセットテープに録音して貰ぉて、テープが伸びる程、聴きまくっちょった。



 儂は、基本的には、ボーカルの入らん音楽は聴かんのんじゃが、ジャズベートーヴェンドヴォルザークだけは別格じゃった。


 儂は、クラッシックなど縁遠い生い立ち(貧乏な漁師の次男坊)じゃったが、『賢治先生も聴きよられた。』との想いで聞き入ると、不思議と心に馴染んで好きに成って仕舞ぉた。




 小6の時に、初めて先生の詩集に触れ、「雨ニモマケズ」「永訣の朝」以外は、小6の少年には、なかなか取っ付きにくい難解な作品ばかりじゃった。



 じゃが、「岩手軽便鉄道 七月 ジャズ」と言う詩は、心に馴染み、情景を思い浮かべる事が出来たんじゃった。



 俄然、ジャズに興味が湧いた。



 当時(1970年代)、日本でもジャズが隆盛の時代じゃった。


 1962年に、アート ブレイキーとジャズ メッセンジャーズが来日して、日本で一大ジャズブームが起こって、その後も続々とビックなジャズメンが来日し、渡辺貞夫日野皓正といった日本のプレイヤーも人気を得て、全国各地にジャズ喫茶が出来て、新譜のジャズレコードを我先にと聴くと言う、将に日本のジャズの全盛期じゃった。


 儂もジャズの新譜が出るたんびに買ぉちゃぁ聞いたし、呉市出身の坂田明氏が参加しちょられた、山下洋輔トリオのレコードも、擦り切れるぐらい聞いたもんじゃった。



 そんなある日、「宮澤先生は、どがいなジャズを聴きよられたんじゃろぉか?」と、言う素朴な疑問が、頭に浮かんだ。


 宮澤先生は、明治29年(1896年)の生まれで、昭和8年(1933年)に37歳の若さで亡くなられちょるけぇ、世界恐慌以降の、1930年代後半から登場して隆盛を極めて活躍した、ベニー・グッドマンデューク・エリントン達が演奏したスイング・ジャズは未だ登場しちょらんかった。



 じゃが、岩手県の花巻と言う田舎に在りながらも、金持ちの道楽息子と言う側面を持った先生が、「ジャズの黄金期」と呼ばれる、1920年代のジャズの新譜を、当時の最先端の音楽として聴いて居た事は想像に難くない。


 若しかしたら、ルイ・アームストロング「Heebie Jeebies」辺りは聴かれていたかも知れんねぇ。


 先生とジャズについては、「宮澤賢治、ジャズに出会う」と言う本に、詳しく触れられちょるけぇ、興味の在る方は拝読願いたい。



 1980年代に入ると、ジャズも他のジャンルの音楽に追いやられて仕舞ぉて、ジャズファンも少のぉなった様に思うし、儂自身、レゲイじゃのブルースじゃの演歌じゃのに傾倒して行っちょった。



 じゃが、50を過ぎてから、改めてジャズの良さが解る様に成って来た気がしよるし、最近、あっちこっちでジャズのフェスが開催されて、ジャズ人気が復活して来よる様に思う。



ジャズピアニスト 大林武司 氏 Facebookより



 J-Squadのメンバーで在り、ホセ・ジェイムズのバンドのレギュラー・メンバーでもあり、若手ジャズ・ピアニストの登竜門として名高い、「ジャクソンヴィル・ジャズ・ピアノ・コンペティション」で見事優勝を果たした広島出身のピアニストである大林武司(p, key)の活躍は、地贔屓な儂としちゃぁ嬉しい限りじゃし、彼のリーダー作である『マンハッタン』は、近年に於ける儂のお気に入りの一枚の一つじゃが、“J-SquadⅡ” Release Tour 2018が、11月29日(木) Zepp Sapporoを皮切りに開催される。



 広島では、12月9日(日) 広島国際会議場 フェニックスホールで開催される。



 仕事は休みなんじゃが、息子(重度の自閉症)は、人の大勢集まる場所や大きな音は苦手じゃけぇ一緒にゃぁ行けんし、誰かに預けてライブに参加する気にも成れんけぇ、今回はパスじゃねぇ。




 届いたばかりの『J-Squad II』を早速聴いてみた。



 聴ぃちょって、楽しゅぅなる曲や、元気が湧いて来る曲ばっかりじゃ ・ ・ ・ 何よりもカッコイイ‼



 朝の目覚めに丁度えぇ感じじゃろぉか・・・。




 秋の夜長・・・小暮はなさん『AZUL(アズール)』を聴きながら眠り、J-Squad『J-Squad II』で目覚める ・ ・ ・ 見て呉れには似合わん、チョットだけ男前な暮らしが続きそうじゃねぇ。 ・ ・ ・ 暁橋のたもとから



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# by sakananoojisan | 2018-10-17 12:00 | 思った事 | Comments(0)

寒露も過ぎて



 寒露(10月8日)も過ぎて、朝夕の空気も、抜ける様な空の青も、いよいよ秋らしくなって、冷たい空気に急き立てられる様に、衣替えの支度を始めました。



 狭い部屋じゃけぇ、たいして物も置けんけぇ整理はしてあるんじゃけど、押入れの物を引っ張り出しよったら、以前、使いよったカメラ(上の写真・NIKON・D3000)が出て来た。


 足を悪りぃする前に買ぉた物で、あれ以来、使う事も無しに、ずっと仕舞い込んじょったんじゃった。


 はぁ、とぉに忘れちょった ・ ・ ・ 1年も使ぉちょらん内に事故に遭ぉて仕舞ぉた。



 久し振りに電源を入れたら、きちんと作動した・・・『流石、ニコン』と思ぉた。



 元気じゃった頃は、此れを抱えて、山や、海や、サイクリングや、釣りや、旅行に、行きよったのにねぇ ・ ・ ・ 自分が作った料理とかを撮るだけじゃったら、今、使いよる携帯電話で、事が足りるけぇねぇ。 ・ ・ ・ 最新機種じゃったんじゃけど、使わん内に、はぁ旧型に成って仕舞ぉたねぇ・・・。



 はぁ、使う事も無かろぉねぇ ・ ・ ・ 誰か欲しい人は居らんかのぉ?。



 後ろに映っちょる、ワープロ(NEC・文豪JX‐750)は、未だに現役バリバリじゃぁ(笑)



 如何せん、昭和なオジサンじゃけぇ、PCのワードを、未だに使い切らんのんよ(笑)



 弟子に、「未だにワープロを使いよるんは、作家のなかにし礼と先生ぐらいですよ。」と、笑われながらも、平成が終わって、他の元号に替わっても、ワープロは永遠に不滅です ‼ ・ ・ ・ 暁橋のたもとから



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# by sakananoojisan | 2018-10-12 19:00 | 思った事 | Comments(8)

失礼⁉


沖縄 翁長前知事の県民葬 約3000人が別れ惜しむ




 昨日(10月9日)、沖縄の基地負担の軽減を訴え続け、8月8日に死去した沖縄県の翁長雄志前知事の県民葬が那覇市で行われ、玉城知事菅義偉官房長官ら、およそ3000人が参列して、生前の功績を、称え、別れを惜しみました。



 醜態は、玉城知事の式辞に続き、菅官房長官が、安倍総理大臣の追悼の辞を代読し、「翁長前知事は、文字どおり命懸けで沖縄の発展に尽くされ、ご功績に心から敬意を表する。政府としても基地負担軽減に向けて一つ一つ確実に結果を出していく決意だ」と、述べた時に起こった。


 追悼の辞を代読している間、複数の参列者から、「帰れ‼」、「嘘つき‼」、「恥を知れ‼」などのヤジが上がり、一時騒然となりました。



 儂は、ニュースで、この光景を見て憤慨した・・・それ以上に呆れて仕舞ぉた。



 儂も、政府の、沖縄の基地問題をはじめとする様々な、無慈悲で軽んじた対応には、憤慨する事ばっかりじゃ。


 じゃが、県民葬の会場で、しかも、総理大臣の追悼の辞を代読している最中である。


 礼を欠くにも程が在る。



 『こんな等ぁ、さくれ回しちょりゃぁがるのぉ‼』(広島弁・この人達は、ふざけ過ぎているなぁ‼)と、思わず思ぉて仕舞ぉたんじゃった。


 儂は、残念に思ぉたし、恥ずかしかった。


 ヤジを飛ばしている連中を、儂は、日本人とは考えとぉ無かった・・・支那や南北朝鮮やロソアの回し者かと思いたかった。



 その時、儂は、敬愛する、諸葛亮孔明の事を思ぉたんじゃった。



諸葛亮孔明の墓とされる武侯墓(ぶこうぼ)




 諸葛亮は、支那の後漢末期から三国時代のスーパーヒーロー・・・年配者は三国志演義を読んで、儂の年代じゃったら横山光輝先生の漫画NHKの人形劇で、若者や少年少女は、ゲームなどのメディアを通して、日本に於いて、最も有名で、最も敬愛される支那人と言って良いじゃろう。



 「赤壁の戦い」では、曹操に対抗する為に、一旦は同盟を結んだ孫権蜀漢劉備じゃったが、孰れは天下の覇権を争って凌ぎを削る間柄じゃった。



 諸葛亮は、呉の重鎮であった周瑜が、若くして病気で急死した際、既に敵対していた呉に単身乗り込み、周瑜の葬儀の場に現れて弔辞を宣べる事を申し出ます。


 周瑜を死に追いやった要因は、諸葛亮に在ると思っている呉の武将達は、剣を抜いて彼を斬ろうとしますが、魯粛がこれを制します。


 「我らはかくて生きながらえる。公瑾(周瑜の字名)はこの世を去り、これが永久の別れとならん。何と痛ましいかな、何と口惜しきかな ‼」 と、・・・諸葛亮は、慟哭しながらも更に続けます。

  「公瑾よ、天はなぜかくも薄情なるか。そなたは天下の奇才、天下の名将たり…」と、諸葛亮は、周瑜は敵であったけれど、友であったのに…と更に大声をあげて泣きじゃくりながら弔意を宣べ、諸葛亮の大袈裟とも思える泣きながらの弔辞を聞いて、敵の武将達や参列者達も、感嘆し、貰い泣きをします。



 諸葛亮の、この行動は、政治的なパフォーマンスで在り、演技も多分に含まれては居たでしょうが、敵同士の立場で在りながらも、相手の才能を認め、相手を尊敬し、その早過ぎる死を悲しむ気持ちに嘘は無かったと思うんよ。




 諸葛亮は礼節を尽くした。



 だからこそ、敵地の真っただ中に、丸腰で単身乗り込んだのにも関わらず、礼節を持って迎えられ、礼節を持って見送られ、呉の宰相や武人達も、彼に刃を振り下ろす事が出来んかったんじゃと思うんよ。



 三国志演義のエピソードの中でも、儂が一番好きな、『孔明、周瑜の喪に服す』の段です。



内閣官房長官 沖縄基地負担軽減担当 拉致問題担当大臣菅 義偉(すがよしひで)




 故・翁長雄志氏は、嘗ては、沖縄に在って、「ミスター自民党」とさえ称されていた保守の雄で在ったが、沖縄を愛するが故に、自民党と袂を分かち、政府に反旗を翻した。



 その、嘗ての盟友に対して、礼節を尽くして弔意を宣べて居る菅氏に対して、罵声を浴びせるなど許し難い蛮行じゃと思います。



 譬え、言いよる事が正しいとしても、葬儀の場で、こがいな礼節を欠いたヤジを飛ばしよったら、世の中からの賛同は得られんじゃろぉ。



 物の見方・考え方は意を異にするんじゃが、同じ類の事を思った方が居られましたので、紹介させて戴きます。



「パイプと煙と愚痴と」 ・・・ 孔明を見習って!翁長前知事の県民葬で菅官房長官の弔事、演技力不足(10月9日記事)




 沖縄の問題って、いつに成ったら解決するんじゃろぉか?



 北方領土問題よりは、よっぽど簡単じゃと思うんじゃけどねぇ。 ・ ・ ・ 暁橋のたもとから



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# by sakananoojisan | 2018-10-10 17:00 | 思った事 | Comments(3)

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。


by 魚のおじさん
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