8月15日…ぼうぶらの話


 今年もまた、暑い夏が巡って来ました ・ ・ ・ 今年は、殊更に暑さは厳しく、連日、猛暑日が続いて居ます。


 儂は、夏が大嫌いです。


 しかし、『あと何年、夏を迎える事が出来るじゃろぉか?』と、ふと思う時、大嫌いな夏を、愛おしくさえ思える、不可思議な自分の存在を感じます。


 戦後、73年を迎え、8月6日に纏わる、様々な世の中の動きを見聞きし、感じる事が多くなりました。


 その流れに乗じる訳では有りませんが、以前、儂が書いていた『アジアの片隅より』と申しますブログの記事を、アーカイブとして掲載し、儂が伝えたい思いとして、娘と善き隣人に届けます。




【2011年8月15日 掲載記事】【7月14日・予約投稿】







 今日、8月15日は、「終戦記念日」です。



 とは言うものの、「終戦記念日」と言う祝日は有りませんし、国としても、正式に、「終戦記念日」と言うものを定めて居りません。


 但し、日本政府は、8月15日を戦没者を追悼し平和を祈念する日とし、全国戦没者追悼式を主催しています。




 昭和20年(1945年)8月15日、昭和天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」が朗読放送(玉音放送)されました。



 この事を以て、一般的には、8月15日を、「終戦記念日」もしくは「終戦の日」としている様です。





 玉音放送の原文である 「大東亞戰爭終結ノ詔書」 ⇦ 此処をクリック





 玉音放送 昭和天皇 終戦の詔書 大東亜戦争終結ノ詔書 ⇦ 此処をクリック




全国戦没者追悼式



 

 父(昭和9年生まれ)は、終戦の日には、恐らく私が物心のつく以前から、必ず同じ話をしました。



 「ぼうぶらの話」です。



 広島では、カボチャの事を、「ぼうぶら」と呼びます。



 但し、戦前生まれの年配の方だけでしょうが・・・。



 父の話を、そのまま伝えますと、濃度の濃い広島弁に成りますし、非常に長く成りますので、「ぼうぶらの話」として、纏めてみました。





 「ぼうぶらの話」 



 「ぼうぶら」とは、カボチャの古い呼び名です。


 昭和20年8月15日(水曜日)の朝、正夫君は、お父さんに連れられて、お家の在る音戸の港から、お父さんが操縦する漁船に乗って、倉橋島の波多見と言う小さな漁港に行きました。


 お父さんが獲った魚を、お百姓さんの所に持って行き、米や野菜と交換して貰う為でした。


 戦争中の物の無い時代でしたが、正夫君の家は、お父さんが獲った魚を、お百姓さんが、米や野菜と交換して呉れるので、食べ物に困る事は有りませんでした。


 そして、お百姓さんも、自分が作った米や野菜と、魚を交換して貰えるので、お金を使わなくて済みますから、とても助かっていたのでした。

 

 港に着くと、お父さんが明け方に獲った、沢山の魚を荷車に積んで、山の麓に在る、お百姓さんの家に運んで行き、米一斗と、荷車一杯の沢山のぼうぶらと交換して貰いました。


 正夫君は、甘いぼうぶらの煮物が大好きでしたし、お姉さんが作って呉れる、ぼうぶらの羊羹も大好きでしたから、とても喜びました。


 お百姓さんの家から、港に戻った頃には、もう、お昼を過ぎて居りました。


 港に戻ると、先ずさきに、お父さんは、交換して貰った米を、誰にも見られない様に、舟板の下に隠しました。


 米は、統制品と言って、役所の許可無く取引をする事が、厳しく禁止されていたからでした。


 それから二人で、一個ずつ、丁寧に、カボチャを荷車から舟に運んで居りました。


 すると、「待て!待て!待て!・・・」と、叫びながら、5,6人の男達が、ガンギ(桟橋や海へ下りる石の階段)の上側に駆け寄って来ました。


 「待った、待った。・・・あんたぁ、その、ぼうぶらを持ってく事ぁならんで・・・」と、一人の男が言いました。


 見ると、いつも親切にしてくれている、青年団の人達でした。


 しかし、皆、いきり立った表情をして、手には、天秤棒や鍬を持って構えて居ました。


 お父さんは、「あんた等ぁ何事かいのぉ?…このぼうぶらは、そこの△△さん方で、儂の魚と換えて貰ぉたモンなんでぇ・・・何ぃ言ぃよりんさるんの?」と、言いましたら、


 「そがぁな事ぁ判っちょらぁ‼・・・あんたぁ知らんのんか?・・・さっき、ラジオの放送で、天皇陛下様が、日本は、アメリカやらに降伏する言ぅて言いんさったんじゃ。・・・日本は戦争に負けたんじゃ。」


 「そぉじゃ!・・・じゃけぇ、どがいな事になるやら分からんけぇ、食い物を持って行かせる訳にゃぁいかんのんじゃ‼」と、別の男も言いました。


 お父さんは、男たちの話を黙って聞いて居ましたが、「ほぉかぁ・・・そぉ言ぅ事なら、しょぉが無ぁですのぉ・・・ぼうぶらは置いて行きますわい。」と、言いますと、男達は舟に乗り込んで、さっき運んだばかりの、ぼうぶらを取って行きました。


 荷車の中のぼうぶらも、持って行きました。


 港を見回すと、野菜などを運び出そうとしていた他の舟も、男達に捕まって、米や野菜を取り上げられていました。


 お父さんと正夫君は、空っぽになった舟に乗って、音戸の港に帰って行きました。


 正夫君は悲しくて悔しくて、舟の胴の間で体育座りをして、両膝を抱えて顔を埋め、オイオイと泣いて居りました。


 ふと、舟を操縦している、お父さんをチラリと見ると、ずっと黙った儘でしたが、麦藁帽子の間からジワジワと汗を流しながら、両目からも涙が流れて居るのが見えました。


 お父さんは、それを拭う事も無く、じっと前を向いたまま、舟を操縦していました。


 正夫君は、お父さんが泣くのを初めて見ました。


 海軍少尉だった一番上のお兄さんが戦死した時も、二人のお姉さんが空襲で死んだ時も、嘉人兄さんが原爆で死んだ時も、涙を見せた事は有りませんでした。


 正夫君は、見てはいけない物を見た様に思えて、余計に悲しくなって、また両膝に顔を埋めて泣いて居りました。


 家に帰ると、お父さんは、仏壇の前に正座すると、お母さんと妹や、お兄さん達や、お姉さん達の写真に向かって、「すまんのぉ・・・すまんかったのぉ・・。」と語りながら、一人一人の位牌をさすって居りました。


 正夫君が、「父さん、日本が戦争に負けたけぇ言ぅて、何でオジサン等は、儂等のぼうぶらを取って行くんじゃ。・・・そりゃぁ間違ぉちょる。・・・儂ゃぁ悔しゅぅてならんのじゃ‼」と、言いましたら、お父さんは、


 「えぇか、正夫!・・・あの人等を恨んじゃぁいけんど‼・・・しょぉが無ぁんじゃ・・・戦争に負ける言ぅなぁ、こぉ言ぅ事なんじゃ・・・今は辛抱せぇよ・・・辛抱していかにゃぁならんのんじゃ・・・死んだ人等のためにものぉ‼」と、正夫君の両肩をしっかりと掴んで、抱き寄せて言いました。


 正夫君は、その日の事を、決して忘れる事が出来ませんでした。


 その日から、あの日の辛い気持ちが思い出されて、耐えられなくなるので、正夫君は、ぼうぶらを食べる事が出来なく成りました。


 ( お し ま い )



音戸の瀬戸



 私は、幼い頃から、この話を、毎年、8月15日になると、父から聞かされて参りました。



 子供の頃から父の話を聞いて居ましたし、我が家の食卓に上った事が在りませんでしたし、食わず嫌いと言うのでしょうか、私はカボチャを食べません。




 子供の頃、「戦争に負けたのに、何で敗戦記念日じゃ無ぉて終戦記念日なんかねぇ?」と、父に聞きましたら、



 「日本はのぉ、本土決戦言ぅて、日本の国でアメリカやらを迎え打って戦う心算じゃったんよ。


 じゃが、それをしたら、大勢の日本人が死ぬ事に成るし、相手の国の兵隊さんも死ぬ事に成るけぇ、それを天皇陛下様が御望みに成りんさらんかったけぇ、ポツダム宣言 ゆぅアメリカやらの言ぅ事を受け入れて、戦争を終わらして、それを、玉音放送 言ぅて、自分の言葉で国民全員に戦争の終わりを知らして呉れんさったんよ


 日本は、戦争に負けそうなかったが、負けた訳じゃぁ無ぁんで、・・・あのまま、本土決戦に持ち込んじょったら、若しかしたら、アメリカやらも諦めて、戦争が終っちょったかも知れん。


 じゃが、大勢の日本人や敵国の兵隊が死んじょったじゃろおて・・・お父さんも死んじょって、アンタ等も産まれちょらんかも知れん。


 天皇陛下様は、国民だけじゃぁ無ぉて、敵国の兵隊の命も守ってくださったんじゃ。


 アンタ等の命ものぉ・・・それに、産まれて来たアメリカやらの子供等の命もじゃ。」と、話して呉れました。



 父の話は、史実と多少異なる部分は在りますが、当時、小学生だった私には解り易く、今も大筋では此れが真実だと考えて居りますし、右翼思想の持ち主では在りませんが、昭和天皇に大恩を抱いて居りますし、今上天皇陛下を御尊敬申し上げて居ります。



 以前から、8月6日の「広島の原爆の日」から、8月9日の長崎原爆の日、8月15日の「終戦記念日」までを、「平和週刊」として休日とし、戦争や平和について学び考え、お盆でもある事から、先祖の墓参りや戦没者の供養をし、平和な世を築く礎と成ってくださった事に感謝し、「世界の恒久平和」実現の為に、国民一人一人が何を為し、どう生きるべきかを考える機会とする事を望んで居ります。


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宮沢 賢治先生



 私が幼少の頃から、心の師として敬愛させて戴いて居ります、宮沢賢治先生が、「農民芸術概論綱要」の中に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」との言葉を残されて居ります。


 

 この言葉を逆から申しますと、「不幸な個人が在るうちは世界平和とは言えない」とも申せましょうか。



 特定の国や個人だけが、豊かで慈愛に満ち溢れた生活をできて居たとしても、それは、真の幸福ではないと言うのです。



 これは、とても厳しく、実現不可能と思われる言葉です。



 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」との言葉は、単独で語られる事が多いのですが、この言葉の真意を掴む為には、「農民芸術概論綱要」に込めた宮澤先生の思いを理解する必要があると考えます。



 「農民芸術概論綱要」は、序論から結論に至る、十項目に分けられた短い文章ですが、宮澤先生が残された作品の中でも、非常に難解な作品ほ一つです。



 「般若心経」の様に深遠で、これを専門に研究しておられる学者の方も居られる程で、今から85年前(1926年・大正15年又昭和元年)に表された作品ですが、愚者である私には、理解し得ない境地に在る様です。




 とは言え、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」との言葉の中に、私の求める「恒久平和の形」が有る様に思います。・ ・ ・ アジアの片隅より⇐ 此処をクリックしてつかぁさい♥​​​​​



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# by sakananoojisan | 2018-08-15 12:00 | 反核・平和 | Comments(6)

366日振りの勝利

広島に勝利し、祝福を交わす岡本(右端)ら巨人の選手達




 昨日(8月12日)、巨人は、広島戦に8―4で勝利して、マツダスタジアムでの連敗を13で止めた。




 マツダスタジアムでの勝利は、17年8月11日以来、実に366日振りじゃった。




巨人打線に打ち込まれベンチに向かう福井投手



 12日付で登録を抹消された ジャクソン投手に替わり、一軍に昇格されたばかりの福井優也投手は、先発を任されたんじゃが、自責点6と、巨人打線に打ち込まれ、5回途中で降板し、緒方監督やカープファンの期待に応える事は出来んかった。。




 たぶん、また二軍落ちじゃろぉ ・ ・ ・ 。




 はぁ、カープの一軍のマウンドで、福井の姿を見る事ぁ無ぁんじゃぁなぁか言ぅぐらい、寂しげな背中じゃった ・ ・ ・ 。




力投する今村投手



 今村投手が、大汗をかきながら、辛抱してよぉ投げた。




5回無死、重信は左中間に三塁打を打つ




 重信選手もよぉ打った。




 記者から、「呪縛が解かれた?」と、聞かれた高橋由伸監督は、「そう言われるからね。でも、勝ったことが大きい。」と、苦笑いしながら語ったらしい。





現役時代の高橋由伸監督




 実は、儂は、チョット嬉しかった。



 儂は、以前から高橋監督の事を、非常に気の毒に思ぉちょって、マツダスタジアムで連敗する度に、ベンチの奥で悲痛な表情を浮かべるのを見るにつけ、切ない気持ちになりよったんよ。



 昨日は、勝利を収めて帰ってくる選手を迎えながら、実に嬉しそうな表情じゃった。



 実は、儂は、チョット嬉しかった。




 それにゃぁ、それなりの訳が在るんじゃが ・ ・ ・ 。



 平成15年に浮上した、読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題や、成績不振を理由に退任した原監督の後を受けて、急遽、監督に就任することになった高橋監督じゃが、本人は、現役を続行する心算じゃったじゃろぉし、まだまだ体力も実力も人気も、引退するにゃぁ早かったじゃろぉし、プレ-イングマネージャーと言ぅ選択肢も在ったじゃろぉに、フロント側が認めんかったらしい。



 それに、原監督が急遽、退任する事に成った背景には、原監督を取り巻く様々な黒い噂が在り、その中には反社会的勢力との関わりも取りざたされちょって、監督を続行して居たら、マスコミの追求からは逃れられないと判断したフロント側が、高橋監督にゴリ押しして、急遽、現役を引退して、監督就任と成ったらしい。



 

 そがぃな経緯が在るけぇ、マツダスタジアムで連敗する度に、ベンチの奥で悲痛な表情を浮かべよるんを見るにつけ、切ない気持ちになりよったんよ。




V9時代を象徴する3人 長嶋選手、川上監督、王選手




 昔の巨人は強かった。



 圧倒的な強さじゃった ・ ・ ・ 今のカープの様じゃった。



 広島市民球場で、3連戦の内、1勝でも出来りゃぁ御の字じゃった。




 今とは真逆の状態じゃった。



 あんまり強すぎて、「人工芝にぺんぺん草生えた」なるふざけた歌まで出来たが、実は、この歌が出来た頃、長嶋選手や王選手が引退した頃から、その強さは陰りを見せ始め、今の為体に至っちょる次第です。





 夏休みにゃぁ、よぉ観戦に行ったもんじゃ ・ ・ ・ 今たぁ違ぉて、人気の巨人戦でも、外野席とかなら必ず入れたけぇ。



 未だ、赤ヘルじゃぁ無かったし、専用グッズとかも無かったし、黄色い小学生制帽に、Hのイニシャルがあしらって在るだけじゃった。



 リトル魚のオジサンは、それを被って応援しよったもんじゃ ・ ・ ・ 試合観戦をして、カープが負けたら、父に肩を支えられて、泣きながら球場を後にした ・ ・ ・ たいていは泣きながら帰りよった。



 巨人戦じゃと、半分以上が巨人ファンの様に思えたし、たいがいは負け試合じゃったが、安仁屋さん外木場さんは、よぉ勝って呉れよったんを憶えちょる。



 じゃけぇ、この御二方にゃぁ特別な思いが在って、解説をされよる姿を見る度に胸が高鳴るんよ。



 

 リトル魚のオジサンは、負けても負けても負け続けても、頑張っちょるカープがすきじゃった。



 

 若しかしたら、儂が、判官贔屓なんは、あの頃に培われた性分なんかも知れんねぇ ・ ・ ・ 。





 嗚 呼 ッ ・ ・ ・ それで、高橋監督の事を気の毒に思うんじゃ ・ ・ ・ 納得々々




 カープは、一昨日が引き分けで、昨日は負けたんじゃけど、マジックの対象の阪神タイガースも負けたし、2位の巨人とは、11.5ゲーム差じゃし、2位から6位までが、5.5ゲーム差で、どのチームにもAクラス入りの可能性が有るけぇ、先ずはそれが目標になっちょるけぇ、星の潰し合いが酷ぉて、2位を突き抜けて、不動の首位のカープの地位を脅かしそうなチームは出てきそぉも無ぃけぇ、今年もカープがリーグ優勝するんは間違い無いね。




 はぁ、8月も半ばじゃけぇ、メイクドラマは無いけぇ、カープの三連覇は確実じゃねぇ ・ ・ ・ 後は、投手陣とかを再調整しながら、クライマックスシリーズと、日本シリーズに向けて、頑張ってつかぁさいよ。 ・ ・ ・ 暁橋のたもとから 



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# by sakananoojisan | 2018-08-13 00:00 | カープ | Comments(4)

今日は君が代記念日


日の丸と富士山


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 今日は、「君が代記念日」じゃそうです。



 明治26年(1893年)のこの日、文部省が、訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日の唱歌に、『君が代』『一月一日』『紀元節』等8曲が定められ、1999(平成11)年、「国旗国歌法」により、正式に国歌となったんじゃそうです。




 儂は、人から、「貴方は右翼思想の持主ですか?」とか、「わりゃぁ右翼か‼」と、言われます。



 「戦争の歴史」・「戦前の教育」・「従軍慰安婦」・「天皇陛下への思い」・「君が代」などについて語ると、よく言われます。



 儂の国じゃぁ、これ等について、正しい事を言うと、「右翼」と、決め付けられてしまう傾向が在るんよ。



 特に、「君が代」について語る機会(スポーツや様々なイベントで斉唱されるし、何某が斉唱を拒否したじゃのとかがニュースになるので…)は多いぃけぇ、よぉ言われるんじゃけど、儂は、「君が代」の歌詞が大好きじゃし、「君が代」が国歌に定められちょる事を誇りに思ぉちょります。



 「君が代」について批判する人は、『君が代は天皇を称える歌』と、勘違いしちょる様です。



 まぁ、普通の一般人が、言う分には、『知らんのんかのぉ?』と、思いながら、柔らか目に、歴史や成り立ちについて語ります。




 じゃが、政治家や評論家が、批判しているのを見聞きすると、話は別モンじゃぁね。



 腹立たしゅぅて、激怒して、『死ね‼』とさえ思ぉて仕舞う事も在るんよ。




 何で、そがいに腹が立つか言ぅ前に、「君が代」の歴史や成り立ちについて、丁寧に説明なさっちょられるブログ記事が在ったけぇ、こちらで引用さして戴きます。




 此方…⇛ 伊勢神宮「神の計らい」 2015年8月12日記事 「君が代の歌詞 本当の意味」



 

 引用させて戴きました記事を、お読みになられたら解る様に、「君が代」の歌詞の元は、千年以上もの昔に詠まれた恋の歌なんよ。



 その歌が、我が国の長い歴史の中で、愛する人や愛する国が、末永く平穏で在る事を願う詩として、人々に広く知られ、愛されながら伝えられて来たのでした。




「日の丸」・「君が代」に反対する人々




 こがいな事は、少し調べりゃぁ解る事じゃけぇ。



 じゃのに、専門家であるべき、政治家じゃの評論家じゃのが、判らんわきゃぁ無ぁんじゃけぇ、『天皇崇拝』、『国の右傾化』じゃの言ぅて、「国歌・君が代」を、その象徴として批判するんは、間違ぉちょる。



 と、言ぅよりゃぁ、何らかの悪意に満ちた意図をもって、「君が代」の本来の意味を、捻じ曲げて表現して、自分等の都合のえぇ様に、世論を操作しようとしちょるとしか考えられんのんよ。




 儂ゃぁ、世の中にゃぁ色々な人が、様々な考えや立場から意見を言ぃ合ぅて、折り合いをつけて行くんが民主主義のえぇ処じゃと思ぉちょるんよ。



 じゃが、事実を捻じ曲げたり、隠蔽したり、嘘を言ぅたりして、自分等の都合のえぇ様に、民意を誘導するんは、政府じゃろぉと、野党じゃろうと、右翼じゃろぉが左翼じゃろぉが、一般の市民団体で在っても、許されん事なんよ。



 それは、「ナチスの思想」に繋がる蛮行で、破滅に繋がるんよ。



 じゃけぇ、腹立たしゅぅて、激怒して、『死ね‼』とさえ思ぉて仕舞うんよ。




 現政権の党首である安倍首相は、保守のタカ派じゃのに、アメリカの顔色を窺ぉて尊宅し過ぎる傾向が強いけぇ、好ましゅう無い部分も多いぃんじゃが、『死ね‼』たぁ思わんけぇ。




 儂は、日本の国が、心や経済や物質面でも豊かで、皆が手を取り合ぉて助け合い、世界中の国や人々共、兄弟の様に仲良ぉして行けりぁ、これが儂が求めちょる、「恒久平和の形」じゃと思ぉちょる。



 残念な事に、昔から、ロシアじゃの南北朝鮮じゃの支那じゃのの、日本の近隣国家は、日本の国が、国力を付けるんが、怖いんか、嫉妬しちょるんか知らんが、様々な手法のプロパガンダを駆使して、日本を貶め様と暗躍しよるんよ。

 


 「国歌・君が代」を、『天皇崇拝』『国の右傾化』じゃの言ぅて、批判しよる、政治家や評論家じゃのの知識人と呼ばれよる輩は、そうした隣国のプロパガンダに乗せられちょるアホか、彼らの手先に成って日本を貶め様としよる国賊以外の何者でもないと、儂は思うんよね。



 彼奴等は、皆を不幸にしよぉとしよるんじゃけぇ。



 じゃけぇ、腹立たしゅぅて、激怒して、『死ね‼』とさえ思ぉて仕舞うんよね。




 様々な式典で、学校の入学式や卒業式で、様々なスポーツの大会で、「君が代」と言う、我が国の長い歴史の中で、愛する人や愛する国が、末永く平穏で在る事を願う詩として、人々に広く知られ、愛されながら伝えられて来た詩が、「国歌・君が代」として、誰もが、誇りを持って、声高らかに歌い上げて呉れる事を願ぉちょります。 ・ ・ ・ 暁橋のたもとから


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# by sakananoojisan | 2018-08-12 12:00 | 思った事 | Comments(3)

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。


by 魚のおじさん
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