12月12日のジャム



12月12日のジャムが炊き上がりました。

 赤い蓋の方が、毎年、12月のジャムとして定番の、「初冬の林檎ジャム」です。


 今回は、ジョナゴールド(青森産)、王林(青森産)、ゴールデンデリシャス(青森産)の三種類を使って、さわやかに炊き上げました。



 青い蓋の方は、完熟したオリーブ(ルッカ種)だけを使って炊いて、その独特の重厚な味わいから、「魅惑のピアニストに捧げるジャム」のシリーズの第三弾、「魅惑のピアニストに捧げる・マーラーの交響曲第二番ハ短調・復活」と命名しました。


 御存知で無い方の方が多いかと思いますが、生のオリーブは、非常に渋苦くて、とてもじゃないけど、生で食べられる様な代物では在りません。

 生のオリーブは、漬けにして、渋を抜いてから、加工食品にするのが一般的な方法です。


 随分前に、未だ熟していない青いオリーブの実(完熟した実よりも更に渋苦い)を使って、ジャムを炊いた事が在るんじゃけど、あまりにも渋苦ぉて食べられたモンじゃのぉて、色々な果物を混ぜ込んで、ようやく食べれる代物になったんじゃけど、オリーブの風味や渋苦さが、えぇアクセントになって、最終的には、美味しいジャムに仕上がったんじゃった。 


 今回は、小豆島に在ります、山田オリーブ園さんに依頼した処、「既にオリーブの収穫時期は終わって居り、採り残した小さな実しか残って居らず、実が小さくて、スイーツとして使うために、売り物に出来る様なオリーブは在りません。」と、断られたのですが、無理を言って頼み込んみ、漸く2㎏を譲って戴きました。

 他の農家さんにも頼み込んで、2㎏を入手して、計4㎏の完熟オリーブを入手しました。


 比較的、大きくて綺麗な実を1㎏ほど、種を抜いてワイン漬にし、残りをジャムとして炊きました。


 色々と試行錯誤を繰り返して、渋苦さが気にならない程度に抑えて、漸く炊き上げました。

 出来上がりの味ですが、高価(1kgが4,000円です)で、大変な手間が掛かる割には、はっきり言って、それ程、美味しい代物では在りません。

 プルーンのジャムに似た感じでしょうか。

 恐らく、「不味い」と評価する人の方が多いと思います。

 儂的には、オリーブの濃厚な風味と苦みや渋味が複雑に調和して、割と好みの味に仕上がりましたが、マーラーの音楽と同様に、好き嫌いがはっきりと分かれる代物で、此の事も命名の理由の一つです。


 オリーブには、様々な栄養素や健康的な効果が期待出来ますので、健康食品と召し上がるのがベターかも知れません。 
 
 儂は、以前書いていたブログで、小豆の餡子を炊いた記事を掲載したことが有りますが、その中で、「一般的な小豆餡の炊き方として、小豆の渋味( エグ味 )を取り除く為に、最初の煮汁の3分の2を捨てて仕舞うのが一般的な方法になっているが、これだと、小豆の香りや風味も捨てて仕舞う事になる。若干の渋味 ( エグ味 )が残って仕舞いますが、私は、それも小豆の味の一部だと考えて居ます。」と、宣べましたが、オリーブのジャムにも同様の事が言え、この渋味や苦味こそが、オリーブのジャムの美味しさだと感じています。


 オリーブのジャムに関しては、癖の強い仕上がりですし、高額になりますし、3㎏で10個しか出来ませんでしたので、希望者のみの販売とします。

 250g入りを送料込みで、3千円で発送します。


 林檎のジャムは、250gx3個を送料込みで2千円で発送します。


 明日の朝、発送しすので、宜しくお願いします。

 今年も最後のジャムになりました。


 来年も、宜しくお願いしますね。・・・シャローム・・・皆さんに、穏が訪れます様に・・・暁橋のたもとから


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# by sakananoojisan | 2018-12-12 20:54 | お知らせ | Comments(0)

娘に伝える、父の恋バナ『高校編7』

チョソン語の授業風景 懐かしの姜先生(前列の左端が儂です) 卒業アルバムより


 4月に入って、3年生に進級しても、彼女との交際は続いとった。


 儂は、普通科じゃったけぇ、選択科目では、「チョソン語」を選んだ。

 当時の普通科は、A組とB組の2クラスのみで、各クラス40名余りの内、「チョソン語」の受講者は、A組が10名で、B組の受講者は儂一人じゃった。

 その理由は、単純明解じゃった。

 A組の担任教諭は、我が校の生徒が、朝鮮高校と交流を持つ事に積極的な考えをもって居られた方だったのに対し、B組の担任教諭は、批判的な考えを持っていて、担任教諭の日頃の言動から、その事をクラス全員が周知していた為、儂以外にも数人の生徒が興味を持っては居たものの、この時期に担任に睨まれる事は、内申書などに響く事を恐れて、誰もが敬遠したんじゃった。

 我が校の教師の中でも、色々な考え方や派閥が在って、朝鮮高校と交流を持つ事に、大半が好意的な考えを持っちょった訳じゃぁ無かった。


 「チョソン語」の授業は、週一回行われていたが、儂等に、教えに来てくださっていた姜(カン)先生は、儂の記憶が確かじゃったら、横川辺りに在った朝鮮の小学校から、通って来てくださっていた。

  姜先生は、「チョソン語」だけでなく、朝鮮の風習や風俗、北朝鮮へ旅行へ行った時の話などのも聞かせてくださった。


 とても朗らかで温和な方じゃったが、今も御健在じゃろぉか。




 6月の始め(恐らく6月2日)じゃったかに、アポなしで、生徒会の顧問の先生から、「朝鮮高校の文化祭に招待されちょってのぉ。お前が来てくれんにゃぁ話にならんけぇ。」と、突然、言われて、朝鮮高校に連れて行かれた。


 我が校の生徒会役員の任期は、6月の役員選挙から、翌年の6月に新たな役員が決まる迄で、その日は選挙が終わった直後で、儂等旧役員は、引継ぎの準備で忙しい最中の事じゃった。

 確か、夕方じゃった様に記憶しちょるんじゃけど、定かじゃぁない。


 朝鮮高校に着くと、生徒とかで満杯の、講堂の最前列の貴賓席に案内されたんじゃった。

 吹奏楽部の演奏や、舞踊部の演舞を鑑賞させて戴いた。

 演目が終了すると、行き成り顧問に大きな花束を手渡されて、是、あんたが贈呈する役じゃけぇ・・・頼むで♪」と、言った。

 『えぇぇっ‼・・・僕が‼・・・。』と、思いよったら、館内放送が、

 「広島電機大学付属高校の生徒会会長から、花束の贈呈が有ります。」と、言うアナウンスが響ぃて、係の方に促されて舞台の中央に進まされて、代表の生徒に花束を渡して、「有難うございました。」と、お礼を言った。

 大勢の朝校生や教師の視線が、儂に集中しちょった。

 それで終わりかと思ぉちょったら、なぜかマイクを手渡された。・・・全然、聞かされちょらんかったし、予想さえしちょらんかったんじゃが、腹を括ってマイクを握り、

 「僕は、チョソン語は分かりませんが、皆さんの歌や踊りや演奏に感激しました。今日は、御招待いただいて有難うございました。」と、やや興奮気味に言うと、大変な拍手を戴いた。


 退場しながら、足がガクガクしちょるんを、生まれて初めて感じたんじゃった。


 帰りの車の中で、顧問の先生が、「一年間、よぉ遣ってくれたのぉ。・・・ありがとう。」と、仰った。


 色々と無茶振りもされたが、凄く良くして戴いた。


 石黒先生・・・元気にしちょってじゃろぉか・・・。


 生徒会長としての、儂の最後の仕事じゃった。




 彼女と、プロ野球の観戦に、よぉ行った。

 彼女も大のカープファンじゃったけぇ、日曜日のデイゲーム専門に観戦に行きよったんじゃが、あの年は、「江夏の21球」で知られる、カープが初めて日本シリーズを制覇した年で、第一期黄金期の真っただ中で、彼女と観戦したら負け試合が無かったけぇ、いつも上機嫌で観戦しよったんじゃった。




 彼女とは、月に1回くらいのペースじゃったけど、映画や観劇やコンサートなどへも行った。


 中でも、加賀武史氏が主演した、「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレム版」が、あまりにも素晴らしくて、その印象が強ぉ残っちょるんじゃった。

 この演目でスターダムに伸し上がった彼の演技は素晴らしかったし、ユダ役の飯野おさみヘロデ役の市村正親も好演していたが、何と言っても、マグダラのマリア役の久野綾希子さんの歌も演技も存在感も素晴らしゅぅて、魅せられた様に舞台に引き込まれちょった。


 彼女も儂も、瞳を輝かせて見入っとったし、後半は、涙が後から後から溢れ出ちょったんじゃった。


 加賀武史主演の「ジーザス・クライスト=スーパースター」じゃが、今となっては伝説とも言われるミュージカルで、加賀武史氏は、翌年に劇団四季を脱退した為、彼女と二人で、このミュージカルを観れた事は、忘れ難い思い出じゃったし、とてもラッキーな事じゃったと思う。


 何年か前に、違うキャストでの「ジーザス・クライスト=スーパースター」を観たんじゃが、残念ながら、比べるべくも無い代物じゃった。

 ことに、劇団四季は、東京や大阪などの大都市圏での公演ではトップスターが出演するのに、地方の公演じゃと、二番手や三番手の俳優や女優が出演し、「地方を馬鹿にしている」との悪評も耳にする。

 残念な事じゃ・・・加賀武史が出て行ったのも分かる気がする。


 広島郵便貯金ホール(現・上野学園ホール)で催されたんじゃが、『何で、こがいな不便な所にコンサートホールを作ったんじゃろぉ?』と思うぐらい不便な場所に在って、夜の公演じゃったけぇ、終わったのが夜の9時頃じゃったけぇ、儂は、彼女を家まで送って行く事にしたんじゃった。

 彼女の事が心配じゃったし、彼女と、少しの間でも長ぉに一緒に居りたいと言ぅ事も在ったんじゃが、彼女がミュージカルを観に来るのに、御両親には、学校の友人と見に行くと嘘を言ぅて来たと言うんを聞いたからじゃった。

 その事を聞いても、彼女の事を咎める気にはなれんかったが、そうまでして来てくれた彼女が、帰りに何か、事故や犯罪にでも巻き込まれたとしたらと思ぉたら、とてもじゃ無いが、手を振ってサヨナラなどする気にゃぁなれんかったんじゃった。

 儂の心配性で小心者と言う性分は、子供の頃からの事で、未だにそうじゃが、彼女は、「五日市まで送って貰ったら、ハッシーは逆方向じゃし、遅ぉなるし、駅から家まではすぐじゃけぇ大丈夫じゃけぇ、送らんでもえぇよ。」と言ぅたんじゃが、強引に送る事に決めたんじゃった。

 会場を出ると、タクシーで横川駅へ行き、横川駅から山陽本線の上りに乗って、五日市に向かった。


 列車は結構空いちょって、向かい合わせに座って、観劇の興奮が冷めやらず、あの場面のあのセリフが素敵じゃったとか、「Jesus Christ♪Superstar♬・・・」と、儂が振り付けをしながら歌って燥ぎよった。


 そぉこぉしよる内に、五日市の駅に到着した。


 駅に着いて改札を抜けると、彼女は出口の方を見て、ニコッとしながら手をあげた。

 その視線の先に目をやると、色白の中年女性が手をあげて彼女に応えているのが目に入った。

 儂は一気に緊張した。・・・彼女の母親で在る事が瞬時に認識できたけぇ・・・。


 彼女と並んで、母親の処に歩み寄って一礼し、「友達の土師です。お嬢さんには親しくして貰ってます。今日は遅い時間に成ったけぇ送らせて戴きました。駅まで迎えに来てくださって有難う御座います。」と、ガチガチに緊張して言ぅと、 

 「あんたがハッシーなんじゃね。・・・娘から話は、よぉ聞かされよるんよ。こっちこそ、仲良ぉして貰ぉてありがとうねぇ。」と、ニコニコしながら言われたけぇ、儂はチョットだけ安心したんじゃった。

 「だいじょうぶよ。うちにはハッシーと行く言ぅて言ぅとったんじゃけぇ・・・」と、笑いながら言われたけぇ、儂はホッとして、

 「はぁ、ほぉですか・・・僕は、御両親に内緒で来たんかと思ぉて、お母さんの顔を見て、怒られるかと思ぉて、覚悟を決めちょったんですよ。」と、言ぅと、

 「真面目にお付き合いしてくれよるのに、怒りゃぁせんよぉね。・・・ただ主人はねぇ、日本の人と付き合うんを、良ぉは思わんかも知れんけぇ、内緒じゃけど・・・」と、笑いながら言われた。


 彼女は、そんな儂等を、ねき(広島弁・傍)でニコニコしながら見ていた。


 暫く立ち話をしよったんじゃが、「あの、もうすぐ広島行きの列車がくるんで、僕は帰りますから、気を付けて帰ってくださいね。」と、言ぅて一礼して、切符を買いに行った。


 ふと、振り返ったら、未だ帰らんと待っちょってくれて、改札の所まで来て見送って呉れた。


 二人とも、いつもの様に、左の手の平を、顔の真横で一杯に開いて、小刻みに振りながら見送って呉れたんじゃった。 


 彼女の、あの可愛い別れ際の仕草は、母親譲りじゃったんじゃと思ぉた。


 ガラガラの列車は、広島に向かって、ゆっくりと走り始めた。


 また一つ、彼女の事を好きになった。・・・暁橋のたもとから



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# by sakananoojisan | 2018-12-08 09:00 | 昔の思い出 | Comments(4)

娘に伝える、父の恋バナ・・・番外編

リニューアルしたばかりの平和公園の噴水 2018年12月5日撮影 


 先日、「娘に伝える、父の恋バナ『高校編5』後編 」で、「朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計」の写真を貸してくださった、「♪あなた知ってる?~広島~」を書いておられる裕さんからコメントを戴いた。

 「朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計”撤去されていませんでしたよ。」との事じゃった。


朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計の南面 2018年12月5日撮影


 今日は、中央市場が休みの為、夕方からの仕事(中央市場が休みの日は、魚等の仕込み作業が無いけぇ、儂は夕方からの仕事になります)だけじゃけぇ、朝から平和公園に向かいました。


 行ったら確かに在りました。


  読者の少ない愚者のブログとは言ぅても、きちんと確認もせんこぉに、誤った記事を書いた事を深く反省しちょります。


朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計の北側の正面 2018年12月5日撮影


 『何でわからんかったんじゃろぉか?』と、考えたんじゃが、時計の南面と平和大通りの間の空き地が工事中で行けんかったし、時計の正面の北側が壊れちょるけぇ、黒く塗り潰されちょって見え難かったけぇ、分かり難かったんかも知れんが、粗忽者じゃと言ぅんが、一番の要因なのは間違い無い。

 じゃが、儂が、園内に在る観光案内所で時計の所在について聞いた時、あの男性職員は、「あれね、ありゃぁ壊れたけぇ撤去した。」と、さも面倒臭そうな素っ気無い口調で、間違い無く言うた。

 儂が、広島市の外郭団体に勤めちょる頃じゃったら、文句の一つでも言いに行く処じゃが、名前も知らんし、顏も、よぉ覚えちょらんし、『冴えん奴じゃのぉ・・・』と思いながらも、チョッとむかつくわ・・・。


時計の北側正面にあるプレート


 まぁ、考えてみりゃぁ、日朝関係が難しい状況に在る昨今、「壊れたので撤去」するやなんかぁ、様々な思いを込めて時計を寄贈した北朝鮮帰国者の思いを踏みにじる様な行為じゃし、『朝鮮総連は何も言わんかったんかのぉ・・・朝鮮総連も弱体化が著しいのぉ・・・。』と、あの時に思ぉたんじゃが、まぁ、在って良かったわ・・・『早ぉぅなおせよ!・・・不細工な・・・』とも思ぉたんじゃった。


 ところで・・・。


 11月24日に投稿した、「娘に伝える、父の恋バナ『高校編6』後編 」を最後に、暫く投稿しちょらんかったんじゃけど、既に、『高校編7』は、はぁ書き上がっちょるんじゃけど・・・。


 結婚式シーズンで仕事が多忙(日祝日には、ホテルや結婚式場などの料理請負の仕事をして居ります)な事も在りますが、先月の末に、儂のFacebookに、彼女から連絡が在ったけぇ・・・。


 彼女の友人が、儂のブログを見て、彼女に知らせたらしい。


 彼女も、懐かしく読んで呉れたらしい。


 何度かメールの遣り取りをした後、彼女から電話が掛かってきて、一緒に食事でもしようと言う話になって、娘さんも一緒に来ると言うので、快く承諾したんじゃった。


 土曜日に、昼食を共にした。




 高校時代の友人の店に予約を入れて、店で待ち合わせたんじゃった。


 腕は確かじゃし、儂が働きよる割烹(会員制で完全予約制)と違ぉて、気楽に入れるんがえぇねぇ。


 儂が座敷に着いてから、10分余りして、彼女と娘さんが通されて来た。


 「元気じゃった?・・・本当に太ったんじゃねぇ♬」が、第一声じゃった。


 彼女は、相変わらず、美しい人じゃった・・・40年分の歳はとっちょったが・・・。

 娘さんは、小柄で彼女似の可愛い娘さんじゃった。

 大女の儂の娘(178㎝)とは偉い違いじゃ・・・娘より3つ下らしい。

 2つ上の息子さんは、東京で働きよるらしい。


 彼女は、広島の女子大を出て、地元で就職して結婚してから大阪で暮らし、娘さんが生まれて間もなく離婚して、子供二人を連れて広島に帰り、今は西区で娘さんと暮らしちょるらしい。


 40年も経つと、其々に、色々有るよねぇ・・・。


 


 食事をしながら、色々な話をした。


 主に娘さんからの質問に儂が答え、彼女が補足を加える形じゃったが、彼女も娘さんも、儂が以前に書きよったブログまで読よんじょったみたいで、

 「あのね・・・亡くなった奥さんの話を読んで、うちも娘も泣いたんよ。・・・ハッシーじゃねぇと思ぉて・・・。」と、笑いよった。 其処を突かれると流石に照れて仕舞ぉて、暫く笑ぉて誤魔化しよったんじゃった。


 料理も好かった。

 昔は、樋口の処は、儂には濃い目の味付けじゃったが、彼も歳をとったけぇじゃろぉか・・・程好い味付けの上に、リーズナブルな所が、なお良かった。


 それにしても、娘さんにしてみりゃぁ、あんな悲劇的な大恋愛をした男性が、こがいな小不細工な、チビで、デブで、禿の足の不自由な下品なオジサンじゃったけぇ、ギャップが激しかったじゃろぉが、「ジョージ・クルーニーと同じ日に生まれたけぇ言ぅて、男前に成る訳じゃぁ無いんよ。」と、言う儂の十八番のフレーズには大うけしちょったし、

 「私も、高畑充希と同じ日に生まれたけど、こんなモンです。」と、笑って返して呉れたけぇ、何と無しに嬉しかったんじゃった。

 素敵な娘さんじゃった。


 食事を終えて、少し歩いて懐かしの福屋百貨店の中に在る喫茶店へ寄って、珈琲を飲みながら暫く寛いだ。


 で、7階のジュエリーショップで、タンザナイトのペンダントを、誕生日のプレゼントに贈った。


 「ハッシー!、そんなことまでして貰ったら困るよ。」と、彼女は断ったんじゃが、「あんたに誕生日のプレゼントを出来んかった代わりじゃけぇ・・・贈る前に、振られて仕舞ぉたけぇのぉ。」と、鮴押しをして受け取って貰ぉたら、娘さんが、水仙の花が開いた様な素敵な笑顔を見せながら、お礼を言って呉れたけぇ、それだけで十分じゃった。


 「儂は割烹へ仕事へ行くけぇ、それじゃぁ此処で・・・今日はありがとう。」と、福屋の前で別れたんじゃった。


 二人とも、あの頃と同じ様に、左の手の平を、顔の真横で一杯に開いて、小刻みに振りながら見送って呉れたんじゃった。

 ぶち嬉しかったんじゃが、若しかしたら、ブログに、『今でも、誰かと別れる時、あの仕草をしよるじゃろぉか?』と、書いちょったけぇ、気を利かして呉れたんじゃろぉか?・・・勘繰り過ぎかのぉ?・・・あの頃の様な、純粋な心は失われちょるのぉ・・・。


 それにつけても、逢えて良かった・・・ほんまは、内心、『逢わんほうがえぇかのぉ・・・』と、言う思いの方が強かったんじゃけど、逢ぉてみりゃぁ、楽しい嬉しいばっかりで、どぉって事ぁない・・・お互いに、えぇ歳を重ねて、色恋沙汰無しで逢える歳になったけぇかも知れんねぇ・・・。


 そんな事が在ったけぇ、書いた記事の推敲をせんにゃぁいけん部分も出て来たし、今月は特に仕事が忙しいけぇ、『高校編7』を投稿するんは、少し先に成りそうなねぇ。


 まぁ、60才近ぉなったオジサンの、高校時代の恋バナなど楽しみにしちょるんは、儂の娘ぐらいじゃろぉけど・・・。 


 ここん処、えらい温い日が続いちょったけど、明日から、寒ぅなるらしぃねぇ・・・。


 そぉ言やぁ、土曜日に、店に入った時、若いのから、「先生‼・・・何か、えらい機嫌がえぇですねぇ・・・何か、えぇ事でも在ったんですか?」と、言われて



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# by sakananoojisan | 2018-12-05 19:20 | お知らせ | Comments(3)

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。


by 魚のおじさん
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